初心者であること
Original2020年1月
若かりし頃、私は老人たちが全てを理解していると思っていました。 今では、それが真実ではないことを知っています。
私は常に初心者のように感じています。新しい分野で活動する スタートアップの人と話したり、理解が十分でない トピックについての本を読んだり、物事の仕組みがよくわからない 新しい国を訪れたりするのが常です。
初心者のように感じるのは快適ではありません。「初心者」という 言葉も決して褒め言葉ではありません。しかし、今日私は 初心者であることについて励みになることを悟りました。
ローカルでは初心者であればあるほど、グローバルでは 初心者ではなくなるのです。
例えば、自国にいる間は初心者感は少ないでしょうが、 全てが違う仕組みのファラウェイビアに移住すれば、 初心者感は強くなります。しかし、そうすることで 知識は深まります。 つまり、初心者感は実際の無知と逆相関しているのです。
では、なぜ私たちは初心者感を嫌うのでしょうか。 そのような嫌悪感には、どのような進化的な目的があるのでしょうか。
その答えは、初心者感には2つの要因があるからだと思います。 愚かであること、そして新しいことに取り組むこと。 私たちが初心者感を嫌うのは、「さあ、さあ、これを 理解しろ」と脳が私たちに伝えているからです。 これは、ほとんどの人類の歴史においては適切な考え方でした。 狩猟採集民の生活は複雑でしたが、今ほど変化しませんでした。 彼らは暗号資産について考える必要はありませんでした。 したがって、新しい発見よりも既存の問題への 熟達を重視するバイアスを持つことが合理的でした。 人間が初心者感を嫌うのは、飢餓感を嫌うのと同じように 合理的だったのです。
今では、食料が不足するよりも過剰なほうが問題です。 飢餓感を嫌うことが弊害をもたらすように、 初心者感を嫌うことも弊害をもたらすのかもしれません。
初心者感は不快で、時に嘲笑の対象にもなりますが、 それほど初心者感を感じられるほど、 あなたは成長しているのです。